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ボランティアの意味

昨日は息子が入っているヨットクラブの総会でした。「総会」と聞いただけでなんだかつまらなそうだし、息子はポーランドに行っていないし、日曜の朝早くから2時間もかけて行かないといけないし…休んでしまいたい理由はいろいろあったのですが、今年入部したばかりで初めてなので、とりあえずは行ってみることにしました。

初めに部会長の話があったのですが、その話がとても印象的で、これを聴けただけでも来た価値があったなと思うほどのものでした。

このヨットクラブはボランティアで成り立っており、コーチもこのヨットクラブのOBで、自分の子供を今、クラブに通わせている親がやっています。救命ボートに乗って子どもたちのヨットの周りをパトロールするのも親が当番でやり、陸上で海からの通信を聞きながら出艇・帰着の手伝いをするのも親が当番でやります。だからクラブ費もはとても安く、一見高級スポーツと思われがちなヨットを普通の家の子どもが楽しむことができます。それに当番があるので、親同士が会う機会も多く、子どもだけでなく父兄の間でも親交が深まるのも良い点です。

昨日の部会長の話は、まずはその「ボランティア」についてでした。「ボランティア」というのは無償で何かを人のためにすることですが「やってあげている」という気持ちでやるのであれば、それはもう「ボランティア」ではなくなってしまう。無償でやっているのだから、自分の好きなようにやって当然、という考え方も本当の「ボランティア」精神からは外れていて、ボランティアを受ける側の意に沿って、本当にその人たちがやってほしいように手助けするのが本当のボランティアだと言うのです。無償でやることで「権力」を得るのはおかしいと。

全く同感でした。私はこれまで「ボランティア団体」などに入ってボランティアをすることにひどく抵抗があったのは、そこだったんだ、と改めて感じました。もちろんみんながみんなそうではないと思いますが、ときどきいかにも「奉仕をしてあげている」という態度の人を見たりすると、つい抵抗を感じてしまうのです。このクラブでは手伝う親も、コーチをしている親も、みんな楽しんでやっているからこそ、子どもたちも楽しいし、のびのびとできるんだなと感じました。

そしてもう一つ部会長の言葉で印象的だったのは、クラブとスクールの違いについて。これはあくまでもクラブであり、みんなで創っていくもので、コーチがヨットレースに勝つためのノウハウを教えて、それを子どもに叩き込み、子どももそれを「教えてもらう」ために来るような場所ではない、ということ。だから、レースに勝つためにこのクラブを利用する気ならやめてほしい。それだったらヨットスクールに行くように、と。クラブというのは、誰かからノウハウを教えてもらうところではなく、みんなでいっしょにヨットをすることで、ほかの子がやるのを見て何かを発見し、わかったり、コーチに注意されることで自分でどうすればいいか試行錯誤して、速く進む方法を見つけだしたりする場所だと言うのです。自分で考えることに意味があり、みんなで助け合って教えあって何かを得ていくことにクラブの最大の意味があるのだと。

このクラブ、いろんなところを見て比較して決めたわけではなく、たまたま電車のつり広告に出ていたのを見て、入会を決めたのですが、昨日この部会長の話を聞いて、つくづくこのクラブに入れて良かったな、と思いました。まさに私が希望していたクラブの形にピッタリだと。

息子は毎週日曜日の朝6時に起きて出掛け、往復4時間もかけて朝から夕方までの練習に出ないといけないのですが、本当に楽しんでやっています。息子曰く「一週間のもろもろのストレスをすべて海に流してくるんだ」そうです。「子どもも結構ストレスがたまるもんなんだ」そうです。一度も休みたいと言ったことがないどころか、むしろレースなどで練習のない日はとても残念そうです。荒天の時は、沈することもあり、冬場は長時間海から這い上がることができなければ、命にも関わる危険性も伴います。なので日ごろから、沈したら自分のことはさておき、まずは沈した人を助けることが先決だと教えられます。出艇・帰着も、みんなで助け合ってやります。そんなところから仲間意識も生まれ、喧嘩をしたりお互い怒鳴りあったりしながらも、結束が守られているんだと感じます。

ちょっといやいや行った総会でしたが、心がほっこりするような話を聞き、嬉しくなりました。

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テーマ:思ったこと・感じたこと│ジャンル:日記
思うこと | コメント(2) | トラックバック(0)2009/12/21(月)23:16

食糧配給システム

たまたまつけたテレビで、貧困のため食べるものがない日本の子ども事情をやっているのを見ました。
一日のうち食べるのは学校での給食だけ。朝も昼もおやつもなしという子どもが増えているというのです。子どもたちの実情を映し出した後、コメンテイタ―が言ったことばが「子ども手当とか鳩山政権は言っていますが、本当にこのような現実をどうにかしてほしいものですね」。

もともとコメンテイタ―という存在そのものが私にはあまり理解できません。だって、すべてのニュースについてコメントできる人ってすごくないですか?コメントをするのであれば、やはりある程度の知識を得た人に、自分が発言することの影響力も踏まえたうえで言ってほしいもので、どこかの編集員ならまだいい方で、適当なタレントを呼んできてその人たちが勝手にコメントするのはやめてほしい!たとえ新聞社の編集員にしても、すべてのニュースに精通しているわけではないし、ニュースは事実を伝えることに意味があるのであり、それにいちいちコメントは必要とないと思うのです。

それはさておき、今回のコメントにもがっかりしました。現実問題として、食べられなくてつらい思いをしている子どもたちがたくさんいるのだから、まずは何ができるかを考えるのが先決で、政権がどうのこうの、政策が悪いからどうのこうの言っていても何の進歩もない。全く具体性に欠けるし、そんなことを言っていられること自体、他人事扱いしているように思えてしまいました。

これだけ食べるものが無くて困っている子どもたちがいる一方で、コンビニやスーパーなどでは、賞味期限が切れた食品、お弁当などがどんどん捨てられているわけで、レストランなどで捨てられる量も相当なものです。それを何とかそのような子どもたち、子どもでなくても、貧困で食べ物を買うことができない人たちの助けになるようにはできないものなのでしょうか。たとえば、市や区のどこかで一般市民やレストラン、店舗から食べ物を集め、それを貧困家庭や失業者に分ける制度ができれば、私のような一般市民でもたくさん作った食事や、いただきものだけど自分は食べないようなものを持って行くことができるのに。力になりたい気持ちはあっても、その手段がわからない人って結構いるんじゃないかと思うのです。

教会では時々、そういった食事の配給や古着の配給をやっていますが、それも特に定期的にやっているものではないし、一応宗教団体ということで躊躇する人も多いと思います。国や市、県などで全国的にそのような制度を作ってくれれば、食糧難だなどと言いつつ、むやみに食べ物を捨てることも少なくなるだろうし、空腹で苦しんでいる人たちの助けにもなると思うのですが…。こういうのって、どこにどう伝えていけばよいのか、そのすべさえもわからない自分にも歯がゆさを感じます。

テーマ:気になったニュース│ジャンル:ニュース
思うこと | コメント(0) | トラックバック(0)2009/12/21(月)22:17

ベルリンの壁、共産主義崩壊から20年

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2010年 1月号 [雑誌]COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2010年 1月号 [雑誌]
(2009/12/10)
不明

商品詳細を見る

10日に発売されたクーリエジャポンです。
今回はベルリン特集。11月9日にベルリンの壁が崩壊して今年で20年です。

私はベルリンの壁崩壊のちょうど1年前にベルリンに初めて行きました。ドイツ分割についての論文を書いている時で、自分の目でベルリンの西と東を見たいという気持ちで行ったのです。東ベルリンに行ったあと、ドレスデンやライプチッヒを観て、ポーランドに抜ける予定でした。トランジットビザでベルリンに行って、そこで観光ビザに変えれば良いと旅行ガイドにはあったにもかかわらず、ベルリンの国境で駄目だと言われ、別室に通され詳しく持ち物まで調べられ、結局は西ベルリンの戻されることに。もう一度ビザを取り直してから再度国境越えを試み、やっと東ベルリンに行くことができました。

国境駅で、西から来る知り合いや家族を待っている東ベルリンの人々の顔を今でも忘れることができません。同じ国、同じ言葉を話し、かつては一緒に生活していた人々が、どうしてこんなに離れ離れにならなくてはならなかったのか……。国の体制の残酷さを感じ、人々の表情を見ているだけで重く悲しい気持ちになってしまいました。

西側のベルリンの壁は、壁画がカラフルで見ていても楽しいのに対し、東側は灰色のただの壁。町も人通りがまばらで、60年代にタイムスリップしたような不思議な気持ちでした。人々の服装から走る車、店に並ぶもの、すべてがあまりに違いすぎ、たった1つの壁の重圧を感じずにはいられませんでした。

壁の近くを歩いていると、後ろから誰かにつけられているような感じが。一人旅だったし、心臓の鼓動がだんだん速くなり、歩くテンポも徐々に速くなり…。私が速く歩けば、相手も速くなります。思い切って立ち止まって後ろを振り向くと、相手も立ち止まり、同じように後ろを振り向いている…。20代前半ぐらいの若い男の人でした。もう一度歩き出し、また後ろを振り向くと、相手も同じく振り向いている。二人で遊んでるんじゃないんだから…と思い、立ち止まってじっと相手を見ると、私に向かってニッコリ。私もなんとなくホッとしてニッコリ。「何か用ですか?」と英語で聞いてみると「西ベルリンから来たの?」ときかれ、そうだと言うと、急に興味津津の表情に変わり近づいてきて、西側の写真を持っているかとか、西の様子を聞かせてほしい、本当に西側には何でも揃っていて何でも買えるのかとか、いろいろ聞いてきたのです。残念ながら写真は持っていませんでしたが、できる限りのことを伝えました。その人は英語は本当にカタコトで、私はドイツ語が全くできないため、持っていたドイツ語の辞書を見せながらの会話でした。それでも、いろいろ聞けたことを喜んでくれた様子で、私も思いがけず現地の人と話すことができるという貴重な体験をしたのです。

東ベルリンはやたら警察や軍人が多いのも印象的でした。警察がある程度尊敬され、権威をもつ日本で生まれ育った私は、警察が多いのにはなんとなく安心感を覚えました。薄暗くなってから一人で歩いている時などは、なるべく警察の近くを歩くようにしたり……。共産主義時代の警察の存在、権力の在り方を詳しく知らなかった私の中には「警察=正義」という構図が自然にできていたからだと思います。

そんな経験をしてから1年後にベルリンの壁が壊されるのを見て、あの壁を壊し、歓喜に沸いているベルリンの人々の中にあの青年がいるのではないかと、テレビに映る人々の顔を必死で確認しようとしたのを覚えています。

今回の特集は、あの時のことをよみがえらせてくれるようなものでした。

この号では4つの記事を訳させていただきました。こんなに多くの記事が掲載になるのは今回が初めてで、しかも質の高い良い記事が掲載になったのは本当に嬉しかったです。

1つ目はベルリン特集の中のレフ・ワレサの言葉「自由への戦いの指揮を執ったのは私だ」。確かに共産主義崩壊で彼が果たした役割は絶大で、彼らの命をかけての戦いがあったからこそ、現在のポーランドや旧東欧諸国があると思います。ただ、ここまであからさまに自慢をされると、その偉業も薄れて見えるもの。言わずにはいられないところが、いかにもワレサらしくもあるんですけどね。

2つ目は、やはりベルリン特集内の「ベルリンで激化する現代の『ユダヤ人狩り』」です。ネオナチの台頭はベルリンだけでなく、ヨーロッパ全体に広まっていますが、あのヒトラーの「歴史は繰り返され」ないでほしいと思います。日本では『わが闘争』も普通に本屋で売られているし(丸の内の丸善ではお勧めの本として『わが闘争』があるのには驚きました)ネオナチを思わせるようなグッズも平気で売られていますが、カッコいいとかそんな理由でこのようなものを身につけてほしくないです。第三帝国とは何だったのか、その背景でどれだけのユダヤ人が虐殺われたかもっと考えてほしいものです。ヨーロッパで極右政党が勢力を増していることにも脅威を感じます。

3つ目の記事は、そのような勢力を強める極右政党を尻目に、どん底まで落ち込んでいた経済の立て直しに成功し、支持率を高めているハンガリーのバイナイ・ゴルドン首相について。「強引なまでの”仕分け作業”でハンガリーを立ち直らせた男」です。自ら手本を示し、政界での昇進をも望まない彼の潔さは、読んでいても小気味よく、日本の政治家にもぜひ学んでもらいたい姿勢です。

4つ目は、マンモグラフィーの危険性について書かれた「マンモグラフィーは、本当に女性を乳がんから救えるのか?」。これは本当に興味深い記事でした。がんは早期発見で完治できる、とよく言われますがマンモグラフィーについてはそうとは言えない。むしろ害になると言う恐ろしい話。私も市から来たマンモグラフィー検査に申し込んでいたのを、この記事を読んでキャンセルしたほどです。このような正しい知識・事実はきちんと広められるべきで、事実をすべて知った上で検査をするかどうかを決断する自由が与えられるべきだと思います。

長くなりましたが、今月号も面白い記事が盛り沢山なので、ぜひ手に取っていただければと思います。
最近は図書館にも「クーリエ」が置かれているところが増え、電車などでも読んでいる人をよく見かけるようになり、嬉しいです。地味で真面目だけど、伝えようとするものがある雑誌や本がもっと広まってくれればと思います。

テーマ:雑誌│ジャンル:本・雑誌
クーリエ・ジャポン | コメント(0) | トラックバック(0)2009/12/13(日)09:35

つながり

人と人との関係って持ちつ持たれつ。
誰かに何かを与え、また相手から何かを与えてもらい……。
時には自分が与えているとも気付かないでしていることもあるけれど
何かを与えることで嬉しくなり
何かを与えてもらえることも嬉しくて。
ただ、与えるものがお金や物になると
なぜか人はそこに力関係を感じてくる
与えるものの優越……。
目に見えないものを与えたり与えられたりする方が
ずっとずっと難しく、
相手を感じ取れなければできないことだって多いのに。

テーマ:今日のつぶやき│ジャンル:日記
思うこと | コメント(0) | トラックバック(0)2009/12/03(木)07:39

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プロフィール

雨月更紗

Author:雨月更紗
ポーランド人の夫と12歳の息子の3人暮らし。


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