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弱点の克服

自分の弱点で自ら直したい、克服したいと思っていることを、改めてそれを強調するかのように指摘されると、せっかく這い登ろうとしていた壁から跳ね除けられ、新たな沼へ落ちてしまう。 このようなことの繰り返しで劣等感が作られるのかもしれない。ここで「大丈夫。そんなの大したことじゃないから。もう1度やってみればいいじゃない。手伝うよ」と言ってもらえたなら、なえそうになっていたところに、力が吹き込まれ、最後まで登りきることができるかもしれない。そして次の世界へ進めるのかもしれない。壁を乗り越える時、これまで自分の中に蓄積してきた劣等感を投げ捨て、反対側に行き、新しい目で世界を見ることができるかもしれない。 自分の弱点をつかれても、気にせず先に進むにはどうすれば良いのだろう。たとえそれが小さな壁でも、それ登ろうとしている人に気付き、優しい声をかけるには、どうすれば良いのだろう。

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思うこと | コメント(0) | トラックバック(0)2005/01/20(木)07:55

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人はみな、限りない好奇心と自主性を持って生まれてくるものだと思っているので、子どもに対して何かを強制したり道筋を決めたりは、なるべくしないようにしています。大抵のことは息子の意思にまかせ、彼がその気になった時がそれをする「時期」なのだ、と思って待つことにしています。だから、思いがけず、他の子どもより早くその時期が来て何かができるようになることもあれば、逆に周りの子どもはみんなできているのに、息子だけまだ、ということもあるのです。でも、それはそれで良いと思って、気長に待つことにしています。息子の意思を信じて待つ、というのは、時には難しいこともあります。私自身が好きなこと、興味のあることについては、息子にもその面白さをわかって欲しいという気持ちがあるので、早く本が読めるようになったら楽しいのに、などと考えてしまいますが、無理に字を教えたりはしません。気長に待つことで得られるものは、強制的にやらせたことでえられるものよりもずっと大きく、喜びも一入だというのを、これまで何度も経験してきたからです。そこには人間が持つ力や判断力、思考力の大きさを感じることさえあります。 12月半ばごろから急に字に興味を持ち始めた息子は、ひらがなで書いてあるものを何でも読み、自分でも書こうとし始めました。それまでは、本を読んでもらうのは好きでも、自分から読むことはあまりなかったのですが、時々そっと本を開いては、読んでいる姿を目にするようになりました。ポーランド語のことばや発音に対する興味は、その少し前から始まっており、本当に短い間に、ポーランド語の発音で日本人にとっては難しい、rやrz、cz などをdziやciと区別できるようになったのです。それと同時に、発音しながらそれを文字にする面白さも覚えたようです。毎日のように、私に手紙を書いてくれ、それを私が読むのを見ては喜びます。これまで物語を作るのは大好きで、私に自分が言った物語を書いてと頼み、自分はそれに挿絵をつける遊びをよくしてきました。絵が中心のことが多かったのが、昨日作った物語は、息子としては長編で、これまでのものよりも、内容も充実していると、親ながらに感じてしまいました。興味のある方は、読んでみてください。


子ども | コメント(0) | トラックバック(0)2005/01/14(金)07:57

そして、さらにもう1冊

平成着物図鑑 昨年末に発売となった親友の倫子さんの本です。着物が好きで、着物を通して広がる世界が愉しくて仕方ないと感じる倫子さんだから作れた本だと思います。その魅力を多くの人に感じて欲しいという思い入れが、手をとる人に伝わってくるような本です。発売日前からなぜか置いてあった本屋で早速買いました。なにしろ「図鑑」というだけあって、どこから読まなくてはいけない、というものではないので、ちょこっと覗いては、また別のページへ、と時間のある時にちょこちょこ見て、時には帯の結び方を試してみたりなんかして、結局気がついてみたら全部読んでいました。場所によっては2、3度読んでいたページもありました。着物を着るようになって、人によりさまざまな着方があり、それぞれの魅力や人間性がその着方に表れるものだと感じます。私は倫子さんと着物の話をすることで、着物を身近に感じられるようになりました。それまで感じていた、着物への壁をまたげるほどの高さまで低くできたのは、彼女のおかげだと思っています。着物を着始めてまだ1年ちょっとですが、着たいときに着たいものを自然に自分らしく着ていきたい、と思います。


| コメント(0) | トラックバック(0)2005/01/09(日)07:58

そしてもう1冊

ダライ・ラマ自伝 年末から読み始めていたのですが、なかなか時間がとれず、やっと2日前に読了。実は自伝とか伝記とかは、あまり好きではなく、そんなに読まないのですが、夫に薦められて読みました。 本当に偉大な宗教家というのは、自分の宗教の中に閉じこもるのではなく、他の宗教に対しても寛容です。ダライ・ラマ自身も書いているように、宗教により解釈の仕方は違っていても、その方向性は同じだからなのでしょう。 以前にワルシャワ大学で彼の講演を聴く機会がありました。おびただしい数のガードマンに守られる中での講演でしたが、彼自身の人柄がそのことばだけではなく表情からも伝わってくるようなものでした。 この本を読んで改めて人に対する彼の開かれた考え方を知ることができました。本書の中で彼は「人間性にとって何よりも大切なのは、その創造力だと信じるがゆえんである。そこでさらに、この創造力を発揮するためには、人は自由でなければならないと信じるからである。わたしには亡命のなかでも自由がある」(p373~374) と言っていますが、まさに共感します。自由な環境におかれてこそ、創造力は育まれるし、自分の中に自由を持つ者こそ、創造力を発揮できるのだと思うのです。


| コメント(0) | トラックバック(0)2005/01/07(金)07:59

今年最初の1冊

「病院で死ぬということ」 新年早々重い本を読みました。深く感動し、心の奥深くまで入り込んだ本でした。身近な人と最期をどう過ごすかを考えるのは、まるでその人の死を待っているようで、変な気持ちですが、いざ、本当に死を間近にしてからでは、なかなか良い選択もできないのではないか、という思い。そして、その人にはその人らしい人生の良き最期の時を送って欲しい、という思いからこの本を手に取りました。読んで、人の死は生命が絶えるものではなく、もっと美しく、深く、悲しいけれども力強く、感動的なものなのだ、と感じました。私もこのような死に方がしたいし、身近な人にも、自分の人生を最後まで自分らしく生きて欲しいし、それが実現できる環境を整えてあげたい、と感じました。著者がこのような死に向かい合うきっかけを作ったキューブラー・ロスの
死ぬ瞬間―死とその過程については、23歳ぐらいの時に読みました。その時、それなりに感動したし、死について改めて考える機会を得られたものの、私にとって「人が死ぬ」ということは身近なものではなかったため、本の内容そのものと自分との間にも距離がありました。今、改めて読み返すと、別の感動があるかも知れません。 「死」は「恐怖」や「命が絶える時」ではなく、その人の人生を美しく輝かせてくれる瞬間ともなり得るのだ、と思うことができました。


| コメント(0) | トラックバック(0)2005/01/06(木)08:01

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。 昨年は、なんとなくひっそりとこのBlogを始め、思いがけず多くの方と知り合うことができました。こんなカタチでつながりが持てたことをとても嬉しく思っています。 今年も気の向くままに、ゆっくり続けていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。 みなさんにとって実り多き年でありますように。


日常 | コメント(0) | トラックバック(0)2005/01/04(火)08:02

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雨月更紗

Author:雨月更紗
ポーランド人の夫と12歳の息子の3人暮らし。


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